スピノザ哲学との類似性:行〈スルーク〉を歩む
なんかいい対談の新書ないかな~と漁っていたら発見しました。
内田樹先生の文章は受験の時に読んだだけだったのですが、いざ対談を読むとその教養の深さに感服致しました。。。
すらすら古典の知識が出てくるのには正直憧れますね。
道=行?
スピノザに関する講義を受けていたので、第3章に出てきた「行」という語に興味を惹かれました。
というのはスピノザ哲学の「道via」とすごく近しい認識だったんですよね。
この「行」はスルークといって字義は歩いていくこと、とのこと。さらに言えば、「目的地がわからないまま道を歩くということ」らしいです。これって正にスピノザの言う自分の道を不確かなものの中、手探りで一歩一歩進んでいく、その上に立つ「道via」に似てる・・そう感じました。
行は目的地=神の視点への到達を許しません、これってまさにスピノザの言う真理標識の不要と一致するわけですよ!
ちょっと色々考えたわけですがレポートを書く手は進まず、、今年も憂鬱な一月が始まったという訳であります。
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